メインのブログを休眠してる間の
文章練習にと何となく始めたここも
なんか普通に更新してしまったなと
思ったりするのでした。
これからどんどんと
のんびり出来ない生活になると思うけど
なんとか寿命まで生き延びられたらいいなあ。
なんてね。
で、それで分かったけど
スタイルシートの
outer-wrapperのwidthの数字をいじれば
くっつき過ぎたメインとサイドの間を広げられるようだ。
メインとサイド自体の幅を変えずにその間の幅を広げられる。
なので最初の設定が660pxなのを700pxにしてみた。
タイトルのボーダー幅より広くなってしまったのが
ちょっと気になるけどまあ許容範囲内。
タイトルのボーターの幅の広げ方は調べてないです。
そのうちもう少し広げるかも。
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wakaikoronokoukaihaさん
あそこは『幻想世界』という場所です。
幻想世界そのものの詳細はわかりませんが、CLANNAD世界の奇跡(アフターストーリーの最後で多分起こります)のための重要な装置になります。
まぁネタばれおkという事ですので……
これは推測ですが、この幻想世界は一ノ瀬ことみの両親が研究していた「超統一理論」による「この世界の成り立ちそのものを、いちばんきれいな言葉であらわすための何か」ではないかと考える事が出来ます。
そうなると気になるのが、実在する研究中の理論「超ひも理論」の「影の宇宙」との類似性ですね。 もしかしたら幻想世界はこの世界に寄り添うように存在するという影の宇宙そのものなのかもしれません。
次に、あの世界にポツンといる「少女」は岡崎汐(これから生まれる朋也と渚の娘です)、ガラクタロボット?は岡崎朋也と思われます。
本人なのか、転生した姿なのか、並行世界なのかはわかりませんが、とにかく「存在」は同じであると思われます。
原作で見る限り、『幻想世界』は現実の『あの町』に住んでいる人々の『想い』で作られている模様です。そのため幻想世界は町(人々)の意志そのものであり、人々の幸せの象徴である『光の玉』は幻想世界から会得している(アニメだとはっきり出てきませんが、原作では登場人物の誰かが幸せになるたびに光の玉が顕れています)と考えられます。
その幻想世界をさまよう「朋也=ロボット」が「汐=少女≒渚」を幸せにしたい、救いたいと真に願った時、それに人々の幸せを願う「町」の意思が重なったときに『奇跡』が起こる……それが『CLANNADの物語』のクライマックスになります。
glass_blue_moonさん
いわゆる「幻想世界」というヤツですね。
この部分は明確な解答はなく、あくまで読者の解釈によって分かれますが。
私なりの解釈を少しだけ。
幻想世界の少女は汐という仮説を立てます。幻想世界とは街の意志。
そして渚が幻想世界の記憶を持っていた、という事から推測すると、幻想世界は現実世界とは真逆に進む、という事。 汐の死によって少女は生まれ、少女が力尽きると渚が『あの場所』で甦った、という意味です。
『あの場所』とは病院の木の下、タイトル画面でも出てくるあの木ですね。そして幻想世界では小屋のある場所とリンクしています。
つまり幼い頃一度死んだ渚を、木の下に連れて行ったことで幻想世界とリンクした。 結果的に幻想世界の少女が消える代わりに、渚は助かるものの、いずれ渚の命は幻想世界に戻る必要がある。
では渚の病気とは何か。
ゲーム中に出てくる渚の病気描写はおよそ3度。
文化祭の後、正月明け、そして三年目の春。
具体的な描写は少ないものの、彼女が病気を起こした時、ファミレスの完成、病院の工事、といった『街の変化』とリンクしています。 つまり街が変化していくごとに、街の意志と同化している渚に深刻なダメージとなって返ってくるという訳です。
ロボットは主人公。少女は最後にロボットをパパと呼ぶ。
渚の死と汐の誕生によって街の意志は汐に移ったと思われる。
つまり少女とリンクしているのは汐であり、
彼女がパパと呼ぶ以上、ロボットは主人公となる。
細かい話になりますが、汐は旅行先でロボットを失くしています。
恐らく、あれが幻想世界のロボットの原型でしょう。
まとめ。
渚が街の意志によって助けられ、街と同化する。
結果、街のダメージと出産が重なり、彼女は死亡するものの、
再び街の意志によって汐だけは助かる(汐が同化)。
同化した汐も再び街の意志によってダメージを受け、
死亡し、主人公の世界も閉じる。
現実世界が終了し、幻想世界に移行。幻想世界は時間が逆転。
ロボットが誕生(ロボットは主人公。現実世界に絶望し、幻想世界へ)。
ロボットと少女が交流を深めていく(これは主人公と汐(渚)との交流の暗示だろうか)。
少女の存在と引き換えに、幼い頃の渚を復活させる。再び現実世界へ。
これを繰り返していくが、光の玉(街の意志)によって、新たな可能性へと向かうことが出来る。
それがクラナドにおけるハッピーエンド。
新たな可能性によって、汐と少女のリンクが解けたので、最後のシーンでは少女が姿を現す事が出来たのでしょう。この辺はただの希望的観測ですが。
という感じでしょうか。
もちろん人によっては他の受け取り方があるでしょうし、公式で発表していない以上、正しい解答なんて存在しないと思いますが。
trickstartripさん
あれはいわゆる幻想世界というやつです。
ただ、ことみの研究している「かくされた世界」との見解もありますが、わたしはちょっと違うかなあと思います。
というのは、「隠された世界」というのは、あくまでも物質的な世界のことで、現実に研究されているものです。パラレルワールドといってもいいかもしれません。つまりあったかもしれないけど、選ばれなかった未来ということです。そして、選ばれなかった未来は消滅するのではなく、それはそれで存在する、というものです。
対して幻想世界というのは、科学的というよりは、神道を主要な背景にもつものだと思います。
幻想世界というのは「終わってしまった世界」だとロボットがいっていますが、これは常世(とこよ)とよばれる世界で、常に変わらない世界、永久の世界を表します。そこには時間軸が存在せず、この意味で、現実世界とはパラレルに考えられなくなります。
常世と対になるのが現世(うつしよ)、つまり現実世界で、その境界とされるものの一つが「神木」です。常世というのは神の住む聖域で、氏神様が住んでいます。渚が死にかけた時に連れて行かれた場所にあった木こそが、この「神木」に当たります。
ということは、幻想世界に住む少女は、CLANNADの舞台となっている町の神様であると考えられます。神様といっても、万物の創造主みたいなたいそうなものではなく、氏子(住人)たちの親みたいな存在で、かなりローカルなイメージです。
ところで渚が死にかけた時に何が起こったかということですが、あの時、じつは「神降ろし」があったとわたしは踏んでいます。
「なぎさ」という名前は、神の依り代となる「なぎ」という木、もしくは巫女(巫、かんなぎ)を連想させます。
そして、その降ろした神こそが汐だと考えられます。
ということは、幻想世界の少女とは汐のことだといえるわけです。
で、ロボットですが、あれは大方の見解の通り、朋也の事だと思います。最終回で、少女が「パパ」と呼んでいたし。
幻想世界には、少女いわく住人たちの想いが「光」になってあらわれます。そして朋也もその一つだったということでしたから、少女は組み立てたロボットにその思いたる「光」を吹き込んだのではないでしょうか。
先に全体の感想を簡単に言えば
パッとしない創刊号だったな、という印象。
ゲッサンのオフィシャルサイトで
編集長代理の人が熱く?語っていた事などから
漫画好きな人のための漫画雑誌ではなくて
普段漫画を読まない人へも向けた誌面作りかなと
あとバトルより日常描写重視の漫画がメインかなと
そういうのを期待していたのだけれども
創刊号を読んだ限りでは普通の微妙な雑誌という感じだった。
ただ、自分の年齢が中年に属していて
この雑誌のターゲットとしている層ではないはずなので
だから自分の趣味と合わなくても当然だとも思う。
安定して面白いと思ったのは
あだち充の『QあんどA』
あずまきよひこの『あずまんが大王 補習編』
島本和彦の『アオイホノオ』
ヒラマツ・ミノルの『アサギロ』
かなあ。
結局ベテランと中堅漫画家の作品が面白かった。
いっそベテラン・中堅中心の雑誌ならいいのに。
もっと連載本数が少なくてもう少し値段も安ければ
この4作品の連載があるというだけで購読したくなったかも。
それなりに面白かったかも?と思ったのは
田辺イエロウの『バースデイ』
荒井智之『イボンヌと遊ぼう!』
杉本ペロ『権力の犬 ポリスワン!』
森尾正博『ザ!!ビーチスターズ』
これらは読んでいてあまりストレスを感じなかったという感じ。
積極的に面白い!って言う気にはならないけど
まあまあかなあ、という面白い寄りの普通な作品。
どうにも苦手だった、というのは
作画が坂ノ睦の『忍びの国』
あおやぎ孝夫の『ここが噂のエル・パラシオ』
小説だけど鯨統一郎の『タイムメール』
ちなみに『よしとおさま!』と『月の蛇』も
部分的に苦手寄りという感じ。
他の連載は一応は普通。
一番気になったのは、創刊号だというのに
これらの連載で新鮮な何かが始まるって感じがしたのは
完結していた作品の続編である『あずまんが大王』だけだった、
という事だった。新人にいまいちフレッシュな感じがしなかった。
でも自分の小学館系の漫画の印象って言うのは
地味だけど安定してるって感じなものなので
荒削りだけど新しい何かがある的でないのは
小学館のカラーなのかなとか勝手に思ったりもする。
大ざっぱな分類をしたけどこれでは何が面白くて
何が苦手だったのかさっぱり分からないので
次の記事に各作品の個別の感想を簡単に書く予定。
鉄の吸収を妨げるものとしては、例えば、
フィチン酸…
玄米(発芽玄米は除く)、全粒粉の小麦粉、豆類の皮、ゴマ(鉄分も含まれる)、ぬか、ふすま、等に含まれています。
シュウ酸…
ほうれん草(茹でない場合)等。
タンニン…
緑茶、紅茶、コーヒー等に含まれています。(ほうじ茶、ウーロン茶は除く。)
アスコルビナーゼ…
キュウリ、ニンジン、キャベツ、カボチャ、シュンギク、カリフラワー、トウモロコシ、メロン、リンゴ、バナナ等に含まれています。(加熱しない場合。お酢やレモン等を使用しない場合。)←アスコルビナーゼはビタミンCを破壊するため。ビタミンCは鉄分の吸収を促進させる。
カルシウム…
カルシウムは鉄分の吸収を妨げます。
ミートファクターを持たないタンパク質…
ゆで卵、牛乳、チーズ、大豆等。
食物繊維…
過剰摂取した場合は鉄分の吸収を妨げる。
炭酸飲料…
炭酸飲料やビール等。
鉄分の吸収を促進してしまうものとしては、例えば、
ビタミンC…
新鮮な野菜や果物等に含まれる。
動物性タンパク質…
肉、赤身の魚、レバー等に含まれています。
クエン酸・酢酸・リンゴ酸…
柑橘類、お酢等に含まれています。
銅…
ミネラルの銅は鉄分の吸収を促進します。
動物性の脂肪分…
動物性の脂肪分は鉄分の吸収を促進します。
加熱調理…
加熱調理することによっても鉄分の吸収は促進されます。
鉄分を豊富に含むものとしては、例えば、
レバー類、コンビーフ缶、うなぎの肝、赤身の魚、カツオ、マグロ、魚の血合い部分、ホタテ、牡蠣、ハマグリ、シジミ、アサリ、納豆、大豆、油揚げ、湯葉、ゴマ、松の実、カシューナッツ、アーモンド、小松菜、ほうれん草、パセリ、卵の卵黄、青海苔(乾)、ひじき(乾)、切り干し大根(乾)、干しぶどう、きくらげ、干しえび、抹茶、ピュアココア、等々です。
↑かなりばらつきがありますが…。
食べ物で鉄分の吸収を妨げるとか促進させるとか、そういった事は個人個人の体質等で吸収率も違ってきますし、確実とは言えないと思います。通常、食品には様々な栄養素が含まれていますし。
今月もお気に入りの古書店が閉店する。
そのお店は他のお店に吸収される的な形で
そのお店は遠くにあって気軽に行けない距離なんだけど
CDに凄い掘り出し物があったりして
自分の好みの音楽が結構置いてあって好きだったから
撤退してしまうのはけっこう悲しい。
その店の前の通りをもっと南下した所に
これもまたかつて古書店があった。
そこもまれに掘り出し物があって
買いそびれて後悔してる画集があったりもする。
古書店も中古CD店もどんどん閉店してるし
ゲームショップもほとんど潰れてしまった。
気軽に入りやすかった洋服店も閉店した。
靴屋もどんどん無くなっている。
近所にあったお店も古い民家も
どんどん消えて新しい家や駐車場になってる。
年を取るってことは
こういう事を感じるって事なんだな。
こういう体験をくり返し続けるのだな。
なんだか凄く悲しいけど
この土地は、この町は、
自分のためのものじゃないから
若い人これから生まれる人
自分とは感じ方の違う人の土地でもあるから
他の人が生きていくには
これでいいのかも知れないとも思う。
でもとても悲しい。
すごく悲しい。
老いるということは、自分の体が老いても
回りの建物はずっと一緒には老いてくれないって事だ。
どんどん新しくなる、昔あったものが分からなくなる。
何が新しいか分からなくなる。
力が入らない。
まず、ヘーゲルは、動物はなにも「否定しない」と言います。
たとえばジェスチャー・ゲームを想像してみて。
「食べる」「歩く」「話す」なんでもジェスチャーで表すことができますよね。
ではこんど、この「否定形」をやってみてください。
ここには「いない」。あるものが「ない」。それを動作で表現することは不可能なんです。
言葉を使う人間だから、初めて「否定」できる。
言葉の機能は、否定においてその真価を発揮するのです。
「わたしはここにいます」というのは、普通の状況では言う必要がない。
その人が実際にいるのだから。
けれど、「そのときわたしはそこにはいなかった」というのは、言葉にしかできないことです。
「言葉」とは、何よりも「否定」ということなのです。
そしてこの「否定」の能力はどこから生まれたか。
ヘーゲルは、それは〈死〉からだ、というのです。
動物は、〈死〉を理解しません。人間のみが〈死〉を恐れ、嫌悪し、不安を抱くようになる。そうして、恐れと不安に引き裂かれつつも、それに耐えて正面から見つめることで、〈死〉を〈否定の力〉へと抽象する能力を持つ。
だから、この「否定」ということは、人間と動物を分かつものとなるわけ。
さて、なんでこのヘーゲルの『精神現象学』を講義したコジェーヴは、戦後アメリカで台頭してきた消費者を「動物」と呼ぶのか?
それは否定しないからです。この点は東さんの本に簡潔にまとめてありますね
「消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変わっていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる」(p.97)
じゃ、スノビズムはどうなのか。
もういちど、オックスフォードの説明を見てください。
この "a person" は現実には "lower-class" なんです。だからこそ、高い社会的地位や富といったものに、必要以上のあこがれを抱く。もしかしたら貴族にあこがれを抱いている中流階級かもしれませんが、ともかく、なんにせよその人が置かれた環境に決して満足していないのです。
だけど、そんなことができるのも、その人が現実には満たされていることが前提となっている。明日の暮らしにも事欠くような人、生存が脅かされているような人が、社会的地位や富にあこがれたりはしないでしょう。
だから、
> 与えられた環境を否定する実質的な理由が何もないにも関わらず
というのはそういうこと。ではつぎの
> 形式的な価値に基づいて
はどういうことかというと、その "a person" があこがれているのは、すでに評価の定まった中流階級的な、もしくは上流階級的なライフスタイルであり嗜好である、ということです。
> それを否定する行動様式のことをいう
そうして、その人は自分が現在置かれている環境を否定する。
" dislikes people or activities regarded as lower-class" っていう部分がぴったり当てはまりますね。
まさに辞書的意味における「snob」ときれいに一致しているといっていいでしょう
なので検索などした結果、直前に入れたアドオンが原因で
そういうアイコンが消える現象が起こるらしいのが分かった。
その件についてと解決法が書かれた記事がこれ↓
ブックマークツールバーが消えたときは。
http://mozilla-remix.seesaa.net/article/32300579.html
というわけで、記事に書かれている事に従って、
一番新しく入れたアドオンを無効にして再起動させてみると
ツールバー自体には相変わらずアイコンは消えたままだけれど
ツールバーの部分で右クリックして出るカスタマイズで
ウィンドウを開くと、その中に、前には消えていて、
且つ、前にツールバーに出していたアイコンが復活していた。
なので、復活するといっても、またちまちまと自分の手で
ツールバーにアイコンを移動し直さないといけなくて面倒なのだけど
とりあえず前の状態に戻すことが出来て良かった。
でもこういう現象があるといくら便利でも詳しくない知り合いに
firefoxをオススメすることはちょっと出来ないかなあ。
解決方法が書かれたURLはすぐには見つけられなかったんだけど
でもこういう情報が載っているのはやはりありがたい。
最近紅茶や日本茶を飲みまくっていたので
ちょっと焦ってしまった。
まあちゃんとした食生活をしていれば
食事中にお茶を飲んだくらいでは
問題ないという意見もあるようなのだけど
自分の場合は不摂生過ぎる食生活なので
ちょっとやばいかなあと思った。
普通に考えれば
イギリスでは食後の紅茶とか
日本でも食事時や食後に日本茶とか
ごく普通に昔から行われている食生活なはずで
だから鉄分が吸収されないといっても
お茶を飲むことで阻害される鉄分の量は
そんな大きな問題になるほどではないかなとも思う。
ただ日本の場合は昔と食生活が変わったので
そのせいで鉄分やその他の問題が発生してても
おかしくはないかなとも思う。
というわけでやっとお湯を飲む話なのだけど
たちくらみの原因が実際に鉄分のせいかはわからないけど
とりあえず食事時にはお水など別の物を飲むようにして
食後2時間くらい空けてお茶などを飲むようにしてるんだけど
そんな中何となくお湯を飲むと飲みやすくて
それからお湯を飲む機会が増えているのだった。
既に売られてる気もするんだけれど
実際自動販売機でも缶入りのお湯を売ればいいのに。
水ほどではなくても需要あると思うんだけどなあ。
ところでお湯を飲むのは特になにもないけど
知らずにぬるい水を飲むとちょっとイラッとするのは
水が冷えてて当たり前的な文化に慣れすぎなせいかもと思った。
っていうか夢って字をちゃんと書けないのかなあ。
よく力がちゃんと出せなくて蹴ったり殴ったりとかが
夢の中ではへなへなになってしまう事があって
思い切り出来た!と思ったら自分も実際に布団を蹴ったりしてて
それで目が覚めてしまったりすることもあるんだけど
夢では字を書いたり細かい手作業も上手できないんだろうか。
そして上手く書けた時は実際に布団に書いたりしてるんだろうか。
それにしてもその同じ夢の中で自分は
ふと思いついた事でちょっと笑ったんだけど
夢の中で笑うって気持ちが良いなと思った。
実際の自分もお腹を動かして笑っていて
それで目が覚めたんだけど気持ちよかった。
なにかストレスの解消になったかも。
でも夢の中で会った知り合いには
もうめったに会えないのだろうなあ
今回夢で会った人は、実際には知り合いでも何でもない
ちょっとした有名人だったんだけども
なんかたわいもなくしゃべったりして良かったなあ。
ありがとう夢の中で会った人!
だいたい、週刊誌で人気漫画を数本隔週連載させて
同じ系列の月刊誌で微妙な連載陣ばかり載せてるっておかしいよ。
キャンベルのスープは結構好きでたまに買うけど、
昔はたまに間違えてハインツの缶を買うこともあったっけ。
まぁ今でも買うことあるんだけども、
ハインツはキャンベルに比べると、ちょっと
缶詰食品独特のくさみを強く感じたりする。
自分の通っていた保育所のお昼御飯は
各自弁当を持参だったのだけれども
その子はいつも家からパンを持ってきていて
そしてパンを持ってきているのは
いつもその子だけだったと思う。
そのパンはサンドイッチではなくて
食パンを半分か四分の一くらいに切ったものを
弁当箱のようなものに入れていたと思う。
しかもいつも焦げていたのだった。
もしかしたらおかずは無かったかも知れない。
その頃の幼い自分でさえ焦げた物を食べると
癌になるって話は知っていたはずで
だからなぜその子がパンを、しかも焦げたものを
毎日持ってきて食べているのか謎だったのだけど、
ある時、自分の体のために焦げたパンがいいのだと
そういうようなことを食事中に言ったことがあった。
自分はそういうこともあるのかなと思っていた。
誰かに聞かれて答えたのか、誰に語ったのか
その辺のことは覚えていない。
ただみんながいる前でみんなに聞こえるよう言ったはすだ。
と、いうようなことを思い出したのだけれども
今の自分の目線でその子のことを思う時に
あの子の家庭はなんかあったのだろうかとか
料理下手だったのかなとか、
そういう家庭の事情的な事を色々考えてしまう。
自分の家庭は小学校の給食費を滞納して
三ヶ月まとめて払ったりとか
中学・高校時代の弁当のおかずが
冷凍の揚げ物ばっかりとかだったし
裕福ではなかったしちゃんとした弁当を持たせてくれていた
ってわけでもなかったのだけど。
話はそれるが保育所時代の自分の弁当は白い御飯と
おかずにウインナーやら卵焼きやらだったと思うけど
でもその当時友達の家で読んでしまったホラー漫画のせいで
お米を食べるのが怖いというか食べづらいようになっていて
食事の時間は年齢が大きくなってもしばらくは苦痛だった。
どういう漫画だったかは語る気はないけれども
子供に怖い物を見せるのが良くないというのは
自分はある種の事実が含まれていると思う。
ところで、子供の頃の事を書くのはあまり好きじゃない。
子供の頃の思い出は自分にはとても大切なものなのだけど
ある頃から書いたり人に喋るとその記憶が薄れたり
忘れたりするようになってしまったからだ。
書いたりしゃべったりすることによって
その記憶が改変されてしまうのも好きじゃない。
だから記憶を大切に保とうと思うのなら
子供の頃の事を何も書かずしゃべらずに過ごすのが
一番良い方法なのかも知れない。
そういえばかつて読んだポール・オースターの小説で
主人公が書くことでどんどん記憶を忘れていく話があったけど
記憶を失い出したのはその小説を読んでからではないだろうか。
でももしかすると何もしなくても忘れているけど
書いたり喋ったりすることで忘れると言う行為が
普段よりはっきり意識させられている、
というだけなのかも知れない。
Googleの表示言語の設定に合わせて
Youtubeの設定も変えられてしまうっぽい。
Googleの言語を何語にしても移動先のYoutubeの設定も
Googleと同じ言語設定に変わるようだから。
ただ、Youtubeの設定を両方とも日本に変えられると
その後Googleの設定を何語にしてYoutubeへ行っても
自分でyoutubeの設定を変えない限りは
Youtubeのロケーションは日本のままになるようだ。
もちろん日本からアクセスした場合の話だと思う。
これが上の▼じゃなくGoogleの検索結果に出たリンクから
Youtubeへ行っても同じ結果になるかというとなるっぽい。
けど完全に同じかはちょっと分からない。
こういうのはサービス精神なのか大きなお世話なのか。
自分にとっては大きなお世話なんだけども。
あと画像検索でもGoogleの言語設定によって
検索結果が微妙に変わるみたい。
(画像の順番だけかも?)
他のブラウザでも「最近閉じたタブ」を復元する機能は
それなりにあるんだけど、タブ自体の履歴も復元するのは
自分が使ってきた中ではFirefoxだけだと思う。
自分はうっかり閉じることがよくあるので。
あと、閉じたタブを復帰させた時に
前にあった位置にタブが戻るっぽいのも面白いけど
これは最後のタブとして復帰させるかとか
設定かアドオンで弄れないのだろうか。
そういえば検索サイトで検索結果をサムネイルで表示する
機能が最初からある所もあった気がするけどどこだったっけか。
このFirefoxのアドオンれはGoogleとYahoo!で使えるのが良い。
ただ一番リンク先の画像を表示して欲しいのはブログ検索なので
ブログ検索でもこの機能が使えるようになればいいのにと思う。
もちろんWEB検索でヒットしたブログは画像が表示されるけど
ブログを探そうと思ったら効率が悪いし。
ブログ検索って何かの作品の感想を読もうと思っても
検索結果にファイルのURLが貼ってるだけのブログがやたらヒットして
リンク先を一々開いてその中から探すのがかなり面倒だから。
検索結果には多少の文章の引用が見られるから
それで判断できる場合もあるけどリンク先の画像があれば
もっと分かりやすいので。
あとこれはアドオンとは関係ないけど
ブログ検索はキャッシュのリンクもあると便利なのに。
ブックマークをゼロから作るのが面倒なんで
他のブラウザのブックーマークをインポートしたんだけど
IEのブックマークはちゃんと入ったものの
他の今よく使ってるブラウザのは文字化けしたので
一度削除してからブックマークのソースに
meta charset=shift_jisをメタタグに入れて
インポートし直して何とか使えるようにした。
一応その文字化けブックマークは
ネットスケープ用に保存する設定を使ったんだけど
保存したファイルのソースに文字のエンコードタグが
何も無かったので文字化けしたのだと思う
まあ更新停止してだいぶ経つ古いブラウザのだし仕方ない。
あとIEのブックーマークが上手く入ったといっても
フォルダとフォルダ以外のファイルがまぜこぜでになって
それを手動で治すのが面倒なので別のブクマを入れたんだけど
フォルダだけ全部上にまとめるとか
幾つかのファイルを纏めて移動とか
そういう楽な機能のあるアドオンってないんだろうか。
あとIEからインポートをすると、ブックマークだけじゃなく
IEの設定やクッキーもインポートされるようなんだけど
それはつまりIEのクッキーは共有しないってことなんだけど
IEの機能を利用した他のブラウザで既にサインインできてるサイトに
Firefoxでもすぐ入れるとこともあれば、新たにFirefoxでサインインして
設定を保存しなきゃいけないサイトもあってこの違いがよく分からないな。
たぶん違う人間がサインインするのを防止するために
同じパスとIDでも他のブラウザのクッキーを弾くのかなと思うけど
メインで使ってるブラウザでサインイン出来なくなると困るから
これはそのまま放置しようと思う。
クッキー削除すれば大丈夫なのかな?まあいいや。
でもアドオン入れすぎたせいかすごい起動が重いや。
まぁ昔のネットスケープ6だかよりは全然軽いけど。
ステータスバーにページを表示しつつある時のアニメーションがあって
斜めのシマシマのがぐるぐる回るやつってネットスケープ6でいいんだっけか。
FirefoxはTwitterやスクラップブックなどをサイドバー?に
ブラウザのページ画面とは別に表示できるのがいいなと思う。
自作のhtmlで作ったお気に入りも表示できるように出来ないのかな。
ちなみにソリティアってトランプでやるゲームもあって
自分がやったタイプのボールを飛び越して遊ぶタイプのは
ペグソリティアというらしい。l
こういうのって自分と趣味が近いってのとは違う気がする。
同じバスや電車に乗るから価値観が近いわけではないし
いや乗り物が同じに比べたら全然趣味が近い可能性は高いはずだけど
そのサイトを何目的で見に行ってるかが重要って言うか
なんかこういう事言ってるとまるで同じと思われたくないみたいな
変な感じになっちゃってそういう意味ではないつもりなんだけども。
なんていうか黒いジャージを着ていたとして
その人はジャージが好きなのか黒が好きなだけなのか
サイズの関係でそれ着てるだけなのか借り物なのかとか
ちょっとポケットが必要でそのジャージなのかとか
ジャージが好きなんじゃなくてそのメーカーが好きなだけとか
全部ひっくるめてただ好きだとか、色々色々
色々理由はあると思うんだけどなんだろうな
あー、自分もそれ好きなんだよねーってノリで話しかけたら
どうも全然話が噛み合わない場合がわりとあったりして
好きとか何かが同じってのは時にお互いの違いがハッキリし過ぎるんで
好きとか同じってのを安易に近親感もっちゃ危険っていうのかな
とにかく近親感よりも怖さが先に立つよ!って感じ
だから何か共通する所がある人がいると
自分的には凄く警戒してしまうんだよな
強迫観念じゃないの?といえばそうかも知れない
トラウマかも知れない
なんか相変わらずうまく言えなかったな
もちろん好きな作者の場合はそのイラつきも
多少はマシになるんだけれども
短編集を読む時には、新しい話を読むたびに
イライラして落ち着かなくなるので
読み進めるのが凄く疲れてしまう。
だから小説に関しては長編の方が絶対読みやすい。
人見知り的な事とか環境の変化に弱いとか
自分のそう言う性格が本を読みづらくさせてるのかな。
ただこれは単行本などまとまった本を読む場合にであって
雑誌の連載漫画ではそんなにイライラはしないのだけど
その違いの理由はよく分からない。
とにかく漫画であろうと小説であろうと
読み始めは少し読んで立ち上がってウロウロしたり
他のことをやり始めて数日経ったりなどはザラだ。
もしかしたら子供の頃の宿題のやり始めに近い感覚かも知れない。
でも映画ではそういうイライラはない。
これはおそらく映画などの映像メディアは
放送を見たり一度再生をすれば自動的に先へ進むので
自分で見るペースを作る負担がないからイラつかないのだろうか。
その代わりビデオやDVDなどのメディア作品は
頭に入らなくて何十回と同じ所を見返す事が多い。
何度も気になって見返すので違う意味で凄く疲れる。
集中力と理解力が全然無いせいだと思う。
もしかして頭を使うのが苦痛なんだろうか。
本を読むのが楽しいという意見は自分なりには分かるし
自分も読んでいて面白いと感じることはある。
だけど面白くなるまでが苦痛になることも多い。
こういうのは読書量を増やしたら解決するのだろうか。
知識を増やせば苦痛は軽減されるのだろうか。
だろうかばかりになってしまった。
大分前にリニューアルした時に、
ロケーションと言語が勝手に設定したのから変わるようになって
何度戻しても気づいたら日本と日本語になるのにうんざりしてて
その症状が無くなったと思ったら今度はサインイン問題が。
Googleは.comと.jpで検索結果に違いが出る事があって
だからwebやブログ検索では.comを使ってるんだけど
同じ理由とレイアウトの見やすさから
Youtubeでも英語環境にして検索したり利用してる。
ただYoutubeの検索結果が国別とか言語によって
変わるかは確認してないし同じかも分からない。
レイアウトの見やすさというのは
日本語だと英語に比べて文字が大きくて
ちょっとした説明文も長めになりがちなので、
英語を前提としたデザインのサイトだからか
見た目スッキリしづらいのと
意味が分かる文字があちこちにあると
気が散ってしまうからってのもある。
勝手にサインアウトされたりするのは
ロケーションとかを弄ってるせいなんだろうか。
そのうちロケーション強制になったりするのかなあ
まぁブラウザのキャッシュが壊れてるだけかも知れないけど。
エース系の雑誌を買ったのって
前回の『お貞本』が付録に付いた雑誌以来かな?
相変わらず読みたくなる連載がないなあ
完全に自分向けの雑誌ではないってのが分かる。
前回の付録には漫画版『エヴァ』と
『孤島の鬼』上下編が収録されていたんだけど
今回は漫画はアルカイックスマイルVol.1だけ。
今回は漫画よりもインタビューと
細田守監督との対談がメインって感じ。
後は『エヴァ』単行本や今まで描いた短編の紹介と
漫画版『エヴァ』のイラスト集などで埋めてる感じ。
画集の再録らしいノノのイラストは良かった。
お気に入りのバイクや車などの紹介は前回の方が
紹介の文章が多くて今回はあっさりだった。
このために雑誌を買うべきかといえば
インタビューーを読みたい人はありなのかなあ。
他の雑誌でも貞本と細田監督は対談してるはずだけど
それと比較してどうかってのはちょっと分からない。
今回の連載のエヴァは12ページ。
漫画の仕事が遅いのにカラー表紙とか色々描いてるしなあ。
貞本は連載も新ヱヴァの参加も中途半端になる気がする。
リンク先では鳴き声を聞けるけど
自分が聞く鳴き声も全くこの音と同じ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~sibutaka/nature/html/insects/kanetataki_s_j.html
ネットってポピュラーな事を調べる分には
音声も聞けて便利だなあ。
なんかウィルスでも貰ったのかな。
古いIE6を使ってるせいなのか原因がさっぱり分からないけど
とにかくサインインしなおすのが面倒なのであった。
クッキーが壊れてるのかな?
IE使ってなくてもたまに起きるんで。
ただひと月前くらいに一瞬味覚がおかしくなったので
今回も自分の舌に原因があるのかも分からない。
とんかつソースも妙に酸っぱく感じたし。
ちなみにトップバリューとは
ジャスコ(イオン)の自社ブランドの事です。
今までだとタイトルそのものやタイトル下やタイトル横のアイコン等に
記事の元になってるリンク先のURLを貼るのが普通だったと思うけど
今は記事にはURLを貼らないで、記事から段落やライン等で離れた部分に
URL貼ってるタイプが出てきてURL探すのがややっこしいしおかしい気がする。
関連リンクって普通は似た内容やその関係の記事へのリンクでしょ。
そのブログの構成上リンクを貼れる場所がそこだけなのかも知れないけど
ソース元を関連って括りにするのは違和感があるなあ。
いや日記のように書いてるブログにはどんなやり方でも何も思わないけど
ニュース系のポータル目指してるような所だと違和感が強い。
まぁでもそういうことを言い出したら
記事を書いた時にソース元のURLを必ず貼らないといけないのかって
話になるかも知れないし、ソース元のリンクを記事から離すのは
URLを貼らないタイプの進化型もしくは貼らないよりマシでは?
みたいな話になってしまうのかも知れない。
でも個人ニュース系はソース元のリンクを貼るべきと思うんで
個人ニュース系でソース元のリンクを貼らないのはもっとおかしいと思う。
ただ個人ではないYahoo!などの大手のニュース記事の場合だと
記事提供元のトップページへ行くURLのバナーを貼ってるのが
ほとんどで、gooの朝日新聞提供記事のような、ソース元へURLを貼って
「続きは asahi.comへ」と導くのは珍しい。
でも大手ポータルサイトの全文引用は記事提供元にお金払った上でやってるので
無断で全文引用する場合もある個人サイトと単純に比較は出来ないけど。
ラーズやリアルピープルの1stは好きだけど
オアシスのリアムの声はちょっと苦手だったな
慣れるほど聴き込んでないせいもあるだろうけど
ノエルの声の方が好きだ。
最初に行った書店には無かったんで
次に行った漫画の品揃えが多い書店で購入した。
でもgood!アフタヌーンやゲッサン、Fellows!とか
ガンガンジョーカー、ヤングエースなどの創刊号の時みたく
棚にどっさり置いてポップも付いてアピール!ってな風には
全然なっていなくて、そんなに売れない雑誌のような扱いで
数冊表紙を見せて並べる棚に置いてる程度だった。
小学館や書店的には力入れてない感じなのかなあ?
昔に比べてスピリッツの売り上げが低いらしいけど
月刊スピリッツも期待されていないのかも知れない。
でも数本読んだ程度だけどなかなか充実してると思う。
創刊号はたくさん売れたらいいのになあ。
でも連載するわけでもないらしい漫画を表紙にしたり
そういう漫画のグッズを創刊雑誌の付録に付けるのは
個人的に好きじゃないなあ。
元の連載は知らないけど『花と奥たん』の番外編は
それなりに面白かったけど、うさぎのナレーションの感じが
けらえいこの『まったく若奥様ってやつぁ!』を
ソフトでほんわかさせたバージョンって感じで既視感があった。
『逆襲のオレ×ヨメ』はクピドの悪戯シリーズの中では
一番くだけたノリなんだけど、作者のブログによると
「全部で100数十ページのクピド」ということで、
今回は58ページだったからあと1話か2話くらいで終了なのかな。
原稿もカラー以外既に完成してるらしく休載の心配はないんだけど
この連載目的で買ったってのもあるから短い連載が良いのか悪いのか。
定期購読はゲッサンと月刊スピリッツのどっちかだけにしたいんだけど。
これで前の短編『オレ×ヨメ』と合わせてコミックス化するのかな。
北崎拓の別の連載がどの雑誌で始まるのかも気になる。
あー、ゲッサンか月刊スピリッツで
高橋留美子の『めぞん一刻』的なラブコメの連載やんないかなあ。
最初は色んなソフト起動しまくりの状態で
HDDの容量も異常に少ない時にインストールして起動したら
インデックスを自動的に作ってるせいなのか、反応がなかったり
固まった状態になったりしてあれ?うちのPCと相性悪かった?
とか思ったんだけど、常識的に考えなおして
起動ソフトを減らしてHDD容量も開けてから入れ直し起動し直したら
ちゃんと噂通りすぐインデックス作ってサクサク動いたのだった。
あたりまえか!
でもこんなに速いとちゃんと全データ作れてるのかな?とか
心配したけど、その辺どうなのかなあ。 あと、
今まで検索ソフトを使ってもHDD全体のインデックスを
作たりしたことなかったから個人情報とか大丈夫かなーとか思った。
まぁでも自分は一時的のつもりでちょっとした事をメモに書いて
あちこちに置いたり、同じファイルをあちこちコピーしたり
フォルダやファイルを移動させる時にエクスプローラー上をマウスで
気軽に移動させようとして間違ってしまい行方不明なんてことがザラにあるので
こういうタイトル名だけでも速く調べられるソフトは有り難い。
日本語化も出来るしね。
筆圧強めのタッチとか
そのタッチのせいか暗い雰囲気があったり
どっかしらホモ要素を入れてくるとか
ほんとその程度の似てるかも?
って感覚なんだけど。
一昨年くらいからか
石川の描いた坂本龍馬の漫画とか
週刊石川雅之とか、1巻本や短編集を
ブックオフで見かける機会がなぜか増えてて、
そんな中「週刊石川雅之」を少しづつ読みながら
そんなことを考えたりしました。
で、検索をしていて知ったのだけど
佐藤宏之は森鴎外の小説の阿部一族を漫画化して
既にコミックスが出てるようだ。知らなかった。
まだどこかに売ってるのかなあ。
探さないと。
彫刻家の名前ということなのだけど
動物を、ちょっと溶けたようなフォルムで作ってる人。
一見彫刻の滑らかさが気持ちよさげなんだけど
ネットの写真で見る限りではそうでもないっていうか
気持ちよさの何歩か手前って感じのフォルムで
どこかにリアリティが残ってガッシリしてる感じ。
昔実物か模造品を美術館で見た気もするんだけど覚えてないや。
DVDレコーダー使いこなし & FAQ インデックス
http://www.miao.com/disc/dvd_rec_faq/index.htm
URLが随時変更されると書いてあるけど
更新停止されてるのでほぼ無いと判断しリンクします。
DIGAってユーザー数が多いのにファンサイトや
お助けサイト的なものって今全然見つからないのが不思議だ。
今時は総合サイトやファンサイトを作るのが流行らないのもあるのかな。
気になった事はブログに書いて済ませたりとか。
同じ質問をくり返しされて疲れてしまったりってのもあるかも。
それともそこまで頑張ってDIGAについて書きたくなるほど
マニアックな人が少ない層が購入してるのだろうか。
今回問題が起きた方のDIGAはDVDを入れた時や
ムーブ終了後のデータ書き込み中にギギギギと異音を発するけど
あれは油が切れてるとかなのだろうか。それとも故障?
そういうことを繰り返しているので
経験上、ああ横になりたくなって寝たんだな
と予測するのであるけれども、寝た記憶はない。
寝た動機が分からないというのは
自分は寝る気がなくて横になっているからだが
まぁ寝るのを我慢してる状態なので
当然体は寝たいに決まっているし
横になる事自体寝ようとしてる要素が強いはずなのだが
なんだかそれは認めたくない感じなのである。
でも本当に眠たい時には寝た方が良いと思う。
気がかりはソニー製(OEM?)のDVD-Rって事なんだけど
でもそれまで使ってて全く問題は起きなかったわけで。
なぜ気がかりかというと
たまたま見たOKwaveのDVD-Rのエラー絡みの質問の回答者が
>私も最近SONY製のDVD-R(太陽誘電OEM)でなりました。
http://okwave.jp/qa5201756.html
と答えていてその偶然?にドキッとしたからだ。
レコーダーに付いてた説明書やWEB上のFAQには
こういうトラブルに関しては一切書いてないのが困るんだよな。
今まで使えてたDVDが急に非対応ディスク扱いになるのはなぜか
とか、こういう症状は初期不良であるとか
使い込んでレンズが劣化してきたらランプが付いて知らせるとか
そういう優しさがもっとあって欲しいと思う。
そもそも共通規格のメディアで相性とか意味が分からない。
そのうちセルCDやセルDVDでも相性で使えないものが出てきたりして。
少なくとも説明書にそういう不具合関連を載せておくことで
電話する回数や手間をお互いに減らせるんじゃないだろうか。
いやこの前もDIGAの不具合の事書いたけど
修理か調べてもらうべきなんだよなあ。
あー、こういうことが続きすぎてうんざりする。
現在サスケは仲間を集めつつもイタチを探し回っているので
確かにこれはロードムービー的なものだと言えると思う。
しかも、木ノ葉を抜け、大蛇丸を倒しそのアジトも出ているので
サスケには変えるべき場所というものがないと言ってもいい。
どこへ行けば良いのか分からない、帰る場所もない、
でも目的だけはある。兄であるイタチを殺すという目的が。
話は変わるけれども、『パリ・テキサス』という映画は
ヴィム・ヴェンダース監督の撮ったロードムービーだ。
BGMはライ・クーダで、この映画のサントラも出ている。
この映画の主人公は、かつて自分が捨てた妻と子供、
そしてその子供を引き取って育てている弟夫婦に再会し、
離ればなれになった妻と子を引き合わせて
そして自分だけまた去るという粗筋だったと思う。
で、サスケの復讐譚と『パリ・テキサス』が
内容的に似ているというわけではないのだけど
サスケは家族を壊された側で、
『パリ・テキサス』では壊した側、
立場が逆になるけど、そう言う境遇の人間が
身内を捜すという部分だけは似てるかも知れない。
そしてアニメのこの回のを演出したのは
黒津安明で、これは都留稔幸のペンネームだ。
黒津安明という名は、見るからに
黒澤明と小津安二郎を会わせたような
ちょっと人を食った名前なのだけれども、
『パリ・テキサス』のヴィム・ヴェンダース監督は
小津監督の熱烈なファンであり、小津の映画のカメラマンである
厚田雄春にインタビューをしてそれを『東京画』という映画にしている。
そして今回のアニメのタイトルである『激突!』だけれど
スピルバーグ監督は『激突!』という名の映画を撮っていて
そして『激突!』には黒澤明監督の映画が引用されている。
『激突!』も一種のロードムービーで
突然大型トレーラに理由も分からず命を狙われる男の話だ。
『激突!』というタイトルとライ・クーダの曲
黒津安明という名前の演出家がが何も考えてないわけがない。
まぁBGMは音響の人が選んだのかも知れないけど。
おかしいなと思いつつ何となく再起動したら、
DVD-Rに再起動前に見えていたタイトルも見えず
そもそもDVD-Rにムーブされたはずのデータが
再生もされず存在も認識されないようになっていた。
Rをファナライズしようとしたりすると
非対応ディスクと表示されて出来ないんだけど
かといってDVD-Rを何度入れ直しても
通常非対応ディスクを入れた時に出るような
ポップアップの非対応ディスクです的な表示はされない。
まるでRAMを入れた時のような何もない反応なのだ。
その後同じように4本同じロットのDVD-Rにムーブしたんだけど
ちなみにSPモードで各データの冒頭と末尾を数秒・数分削除して
高速ダビング(ムーブ)したんだけど一応ムーブは出来たようだった。
その代わり、12、3分程度のはずのムーブ時間が30分以上かかった。
これはやはりドライブとかピックアップが壊れているのだろうか。
いつまでもなくデジタル放送対応のDVD-Rであり日本製だ。
ある時期からギギギギという異音が時々するので気にはなってたのだけど
修理なり見てもらうなりした方がいいのかなおそらく。
ちなみにひと月前くらいの事だったか
ムーブしようとしたらムーブが始まる寸前で
異音がして強制終了・再起動をしたことがあって
その時はデーターもDVD-Rもムーブ前のせいか無事だった事があった。
おかしくなった時に、DVD-Rを入れたままレコーダーの電源を切ったのが
なにか帰らぬデータとなった原因だったりするのだろうか。
付けっぱなしのまま残りのデータもムーブしていれば
成功した的な、終わりよければ全て良し的な展開だったのだろうか。
っていうかHDD DVDレコーダってビデオよりも不具合率高いよ絶対。
"コピー先とコピー元で同じデータを1分以上重複できない"って縛りが
ムーブの失敗の多さを招いてるのかも知れないけど納得は出来ないなあ。
今回の失った番組は昔VHSに録画してるので見れないわけじゃないけど
レコーダーの不具合は本当にガッカリさせられる。
で、レコーダーの不具合の検索をすると、価格.comや2ちゃんねるとか
後はYahooとかの質問サイトがやたらヒットするけども
不具合をまとめたwikiや個人で情報を纏めてるサイトって
なかなか見かけないのが不思議。
不具合で困ってる人多いのであった方が便利だし
同じ質問や疑問の重複も軽減されると思うし。
あと「うちではそんな不具合でませんね」ってのは
不具合の質問の答えになってないのによく見かけるなあ。
そういううちでは問題ない的反応を見る時の気分によっては
お前の使い方に問題があるんじゃないの?とか
嘘付いてるんじゃないの?とか言われてる感じがして
被害妄想とも言えるがテンションが下がる。
前にDIGAの不具合情報載せてたサイトは2箇所くらいあったけど
あのサイトはまだあるのだろうか。
不具合に出くわすととても孤独を感じる。
色々調べたらどうも電源のコードが断線ぎみになってるっぽかった。
そんで何かの拍子に電源が切れた上にバッテリーも無くなってたのが
電源が勝手に切れていた原因らしい。たぶん。
なのでコンセントとかをいじって位置変えたりしつつ
充電を満タンにしたりなどして過ごしたのだった。
しんどかった。
始めていく店ではなかったんだけど
前に来た時よりも確実に回転が速くて
なんか焦ってしまって自分も速いペースで
お皿を取っては食べを繰り返してしまった。
お客を焦らせる作戦なのかなとか思ったけど
時期的に帰省ラッシュと重なって人が多かったので
速く食べさせてお客の回転率を上げる目的なのかな?
目的の寿司を待つ時間を減らしたいっていうか。
混んでない時にまた来てみないと
普段から速い回転になったのか分からないけども。
あと子供もいっぱいきてたせいか
流れてる半分くらいはデザート類だった。
寿司ネタ自体は海老類が美味しくて満足だった
カニも多少水っぽいけどなかなか良かった。
あとホタテは食べなかったけど
ホタテは握りじゃなく刺身の方が美味しいと思う
子供の頃はホタテの握りって無かったと思うけど
一般的には昔からあったのかなあ。
ある日友達の家でちょっとした食事会があって
自分もお呼ばれして知人やお初の人達歓談したんだけど
その時た棚か何かに自分の行く店と同じ系列のレンタル店の袋を見つけて
あ、同じだ、何借りてるのかなーって開いて中身見てみたんだけど
開いた瞬間に突然、あ!他人の勝手に見てるわ!
って自分で気づいてビックリして袋を戻したのだった。
今でも思うけどなぜ勝手に見たんだろう
人の家でそんなの今までしたこと全然なかったのに。
くつろぎすぎたのかなあ。いや失礼すぎるし。
お酒は飲まないから当然酔ってない状態なんだけど
その行為をおそらく回りの人にも見られてたろうなとか
そういう事を考えるとうわあああああああああ!!って
気が変になりそうになる。
絶対何あいつって思われてるし!思われて仕方ないし!
って時々思い出しては悶え苦しむのでした。
鼓膜が破れた事もあるし
大音量で音楽を頻繁に聴いてたし
かなり年を取ったしで
耳が遠くなる理由があり過ぎるんだけど
やっぱ凄いショックだ
いつか全く聴こえなくなってしまうのかな
変な疾患とかでなければ良いのだけど
それから何年も経ってのことだ。
何かで8時だよ全員集合が終わるのを知った。
最後に電話で視聴者にリクエストを聞いて
人気のあったコーナー(コント?)を放送してくれるのだという。
それを知った時にドキッとした。
全員集合を見るのを辞めてひょうきん族を見たのを
裏切りのように感じ後ろめたくなった。
その後学校で全員集合が終わること、
電リクで募集をしていることを
お笑い好きなクラスメイトに伝えた。
ドリフが好きだったクラスの中心人物は
よっしゃ最終回は絶対見る的な事を言っていた。
自分も絶対最終の数週に渡って見ると思った。
だが実際に見たかどうかは全然記憶にない。
最終話数回前は見た気がしている。
記憶が曖昧で何に対しても詳しくない自分が
歴史について話してもあまり意味はないのだけれど。
トイレに行ったけど
その時は全然排便が出来なくて
ガスが少し出て多少楽にはなったし
お腹で何かが発酵したんかなとか思ったけど
でも原因がさっぱり分からない
サツマイモの天ぷらやひき肉使ってパスタ食べたけど
天ぷらなのかなあ。
油が悪かったとか?
でもだったらもっと早く体調崩してるはず。
もしかして何らかの病に罹ったのだろうか。
インフルエンザでまずお腹が痛くなるのがあるらしいから
インフルエンザにでも罹ったのかしら?
でも風邪的な咳は全然出ないし熱もないし。
年を取ると謎な体調の悪さが起こるてことかしら。
まさか食べ過ぎとか。
どこ探しても同じ症状の人を訴える人が見つからないので
自分のブラウザだけの問題かとも思ったりしたんだけども
どこかにそういう不具合の修正情報とか載ってたりするんだろうか。
と、思ったら治ってないっぽい。
Googleをまた別に開いて検索したらやっぱりおかしくなってた。
Googleダンスみたく治ったり治らなかったりしてるのだろうか。
よく分からない。
まぁでも何年前とか若い頃から思ってたとか
そう言うことをわざわざ書くのは我ながらかなり嫌らしいな。
何と競ってるつもりなんだろうか。愚かしさの刻印まで付けて。
これがGoogle.co.jpで検索すると、
Google.comと同じキーワードでもちゃんと目的のページが開く。
.comの方では日本語URLが対応しなくなったってことなのかなあ。
いやでも検索結果に表示されるURLに日本語の部分がないURLでも
%が入ってるURLだと同じように上手く開かないし、日本語urlじゃなくて
日本語の検索自体が上手くいってないんだろうか。
それとも日本人はjpで検索しろってことなのかな。
Googleは国別のユーザー管理を強化するつもりとか?
Youtubeでも日本からは見られないのとかあるし。
でも.jpと.comではブログ検索もそうだけど
検索結果がちょっと違ったりするんだよね。
そういうのが一切無いならjpでもいいかも知れないけどさ。
まぁエラーになるWikipediaとかも.comでもキャッシュから開いて
キャッシュの上に表示される元のURLをクリックすれば
一応ちゃんと目的のページにたどり着くんだけども。
でもかなーーーーり面倒だ。
Googleはどんどん使い勝手が悪くなるなあ。
ありがとうインフォシークの漢字辞典。
自分の感覚で言うと、ネットを頻繁に利用してから
テレビは流しっぱなしにする事が多いので
付けなくなることはないけど流し見が加速化したし
テレビのニュース番組や新聞や雑誌の時事な記事は
めっきり見ることが減ったと思う。
じゃあネットが既存メディアに取って変わられたかというと
それは違っていて、ネットで新聞雑誌を読まなくなって
その次に、クリックやスクロールが面倒で、ネットでも
ニュースを積極的には読まなくなってしまってる。
今でもネットの記事の一時情報はテレビや新聞雑誌からが多いので
メディアは衰退しても完全に消えたりしないとか言われることがあるし
新聞を久々にゆっくり読むと、場所は取るけど見やすいし
あちこちの記事に簡単に行き来できて便利だなと思ったりするのだけど、
結局ネットは既存メディアの代理ではなくって
中期的に見るとニュースから興味を失わせてると思う。
自分自信限定調べだけど。
最近自分の中で雑誌熱が高まっているという事を
少し前から書こうとして書けてないんだけど
なぜかニュース離れの事を書いてしまった。
子供向け漫画じゃないのにシリアスなシーンでやたらギャグ入ったり
そういうのも苦手だ。 好みの問題といえばそれまでかも知れないし
当然それらの作者は俺のために漫画を描いてるわけじゃないんで
肌が合わなくて当たり前とは思っているんだけれども。
殺し合いでたくさん人が死んで作中の物語の流れとして説得力がないのに
長々と生き延びで、しかもそのキャラは話の本筋とあまり関係ないとかさ
そういう感じなキャラが出てくると本当嫌だ。
今ちょっと思い出せる範囲だと『無限の住人』の凛と逸刀流の関係とか
『カムナガラ』のひたかと翼紗や鳴神先生と納見の関係などは馴れ合いに見え
るし
『アライブ -最終進化的少年-』の由良は無駄に長生きさせ過ぎてるように思
える。
これらの漫画はあちこち面白い所があるんだけども、作品全体として思うと
人間関係の描かれ方でひっかかる部分もあちこちにあるのだ。
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こうやって書くと自分は人間の関係性を重視して読んでるんだな。
一番買われるのはこのチケットなのだから
特別仕様ほどじゃないにしてももっと気を遣って欲しい。
いかにもオタ向けっぽくないのはいいんだけど。
まぁ今回はまだ買ってないんだけどもね!
今少年漫画に足りないのは本宮ひろ志みたいな
ああいうやぶれかぶれな漫画と思うんだけど
ああいう大味な勢い重視の漫画の需要はないんかなあ。
本当に面白いと思ってただけに残念。
これの前の話である『まだ、生きてる…』を
新古書店で偶然見つけて読んで面白かったのが
(2)に興味を持ったきっかけだったんだけど
久しぶりに『男樹』とか読みたくなってきた。
普段使うのは郵便局だし銀行もATMばかりなので
久しぶりの窓口だったわけなんだけど
最近の銀行はああいう係の人がいるのが普通なんかな
俺はありえないくらい常識がないので
色々教えて貰えてありがたかったんだけど
慣れてる人は声かけられるだけで面倒に思うかも?
まぁお客への声かけは防犯目的もあるんだろうけども。
とにかく無事に用事が済んでなによりだった。
みずほ銀行の手数料は高いと思ったけど
まぁ今回は助けてもらえたし良いかなって感じ。
もしこのまま誰も答えなかったらどうしようとか
ここで自分が答えなければこの人見捨てる感じになるんじゃないかとか
そういう変な不幸物語を自分の中で作り出して答えたくなってしまう。
厳密には答えたくなる時とならない時があるんだけど
そのスイッチは何なのかよく自分で分かってない。
こういう感覚って一体なんなんだろうなあ。
教える側に立ちたいとか尊敬されたいって感情なのかな
もちろんそれはある。でもそれだけじゃない気がしている。
ネット上の質問で答えになってない答えを書いてたり
明らかに自分は知らないけど検索して答えました的なものを読む時
そういう人達も自分の同じ感覚で答えてるのかなって思ったりする。
実際の動機は答えた本人に聞いてないし分からないんだけど。
誰か質問してないかなあ。
答えた人に、なぜ答えようと思ったんですか?って質問。
俺はネットに入って間もない頃にチャットなどで色んな事を
教えてくれた人に対して今でも本当に感謝してるし
助けてくれた時は凄く嬉しかった。
そういう感情を持っているから答えたくなるっていうのもある。
良き人間でありたいとか、良き父親、兄、大人でありたい、とか
そういうロールプレイをしたいのかも知れない。
よく分からない。
でも本当の本当は
やっぱり知ってる人が答えるべきなんだ。
じゃないと間違った知識を教えかねないわけだし。
でも答えてもらえない質問があちこちにあって
そしてネットを徘徊する人に答える義務があるというわけでもなくて。
そこが難しい。
結局答えたい人が答えるのであって
知ってる人が答えたくなるか全然分からないし。
似た質問ばっかりしてうんざりするって気持ちも分かる。
でも同じ質問や疑問を聞いてしまう気持ちも自分なりにわかる。
気がする。
本当は質問じゃなく誰かと会話したいのかも知れない。
質問する事でしか接点を作れない人もいるのかも知れない。
子供が同じ物語のお話をしてもらうのを親にねだるのに似て
自分が多少分かっていても、むしろ知ってるからこそ
知ってることを聞きたいのかも知れない。
他人同士が同じ事を知っているという事を確認して
何か安心できることもあるのかも知れない。
答えには既に検索して知ってる事柄をがあるかも知れないし。
自分が調べた以上の知識を求めているのかも知れない。
よく分からない。
誌面で「オトナが読むマンガのパイオニア」を
ガロと定義してて、それは大人っよりマニアっていうか
大衆向けじゃない漫画なんじゃないのって思った。
今漫画を読む大人はオタクなんだって意味でなら
分からなくもないけどそういう意味を含んではいないと思うし。
本宮ひろ志も表紙の割りには対談1ページの半分で残念。
最近『まだ、生きてる…(2)』が面白くて気になってるんで。
漫画家と他のジャンルの人とを対談したりコラボさせたのは
漫画や漫画家単体では売りとして弱いって判断なのかなあ
普段読まないんで雑誌の傾向をよく知らないけれども。
この雑誌の特集にも井上雄彦が取り上げられていたけど
昨今の井上雄彦と浦沢直樹の持ち上げ方が自分には分からないや。
でもマニアック過ぎない漫画が今の漫画の顔の1つになるのは
それはそれで良いことのような気にもなったりする。
なんていうかもっと節度を持って持ち上げれば良いのに。
個人的に今雑誌で必要な特集は子供漫画だと思う。
親が子供に買ってあげたい漫画特集でもいいし。
自分が行く時間帯に子供が少ないせいかも分からないけど
立ち読みできる書店や新古書店行っても子供はほとんどいない。
立ち読みしてるのは中学生以上くらいの人ばっかりかな。
まぁ体格の大きい小学生とかいるだろうけれども
子供が漫画を読まなくなってるってのは本当かも知れない。
低学年向けの漫画雑誌は今コロコロだけなのかな。
あと20代後半や30代でデビューの漫画家が増えたらいいのに。
ってかそういう年齢限定な漫画賞とかないんだろうか。
色んなジャンルの漫画があるのに漫画家の種類が少ない気がする。
気がするだけだけど。
一番のメリットは更新する時に
自分の書いた文章を見ずに済む事だと思う。
どっちにしろ後でラベル付けたり誤字直したりするし
全く見ないわけにはいかないんだけども
ブログって感じが薄くて気楽に更新できる。
更新する時に、それまで書いた事との関連や
関係性を意識せずにいられるからってのもあると思う。
思いついたことを投げっぱなしにしてる感覚が楽だし。
ただメール更新で一番不便なのは
改行のない文章を作れないって所かな。
やり方を知らないだけかも知れないけど。
おそらく親切心からの行為には、その人のモラルや
考え方、生き方が色濃く出るからじゃないかなって思う。
モラルや生き方を否定されたと無意識にでも受け取るから
どんなに丁寧に断られても釈然としないものが残るのではないかな。
親切心にも礼儀ありって言うか
親切心にも「つまらないものですか」の精神が必要な気がする。
だからって何かが解決するわけでもないかも知れないけど。
誤解の無いように書くけど両親に早めに死んで欲しいって意味ではなくて
自分の老後で人に迷惑かけたくないって思うからなのだけども
長生きを安易に肯定するのはどうなのかなって思う。
これはあくまでも寿命の話であって自死を肯定は絶対しない。
でも寿命が短くなると老後の健康問題も低年齢化したりするのかなあ。
今より短命と言われる時代の人は老後どんな感じだったのだろう。
なんていうのかな、短編で上手くまとまってるんだけど
そつなくまとめたせいで構成の骨格が分かりやすいっていうか。
その場合の構成とか骨格って何っていうと上手く言えないんだけど
ここでこう取りますよ、こういう台詞をこのポーズで言いますよ
っていう段取りの流れを、勘違いかもだけど感じられるっていうか。
必要なシーンや演技や立ち位置・カメラポジションがあって、
それらがそれ以上のものではないっていうか、相乗効果で
何倍にもなってるわけではないっていうのかなぁ。
映像のマジックによって構成が陰に隠れていないというか。
面白いんだけどこじんまりとまりとまとまりすぎ?
そういう風に思える作品だった。
一度コンテに起こしてコンテ通りに撮ったのかなあ。
だからどっかしら固いって感じに思えたのかな。
監督はケネディ・テイラーという人で
Kennedy Taylorで検索したら
キル・ビルvol.1や『呪怨 パンデミック』の
助監督をやったりしているようだ。
このオムニバスには黒沢清監督も参加していて
その作品は「タイムスリップ」という設定の元に
俳優に同じ事を延々と繰り返させる、というものだった。
まるで撮影シーンで同じシーンを何度も撮り直してるみたいだったし
8ミリ時代に撮った固定カメラでエレベーターの中から
上がったり下がったりした後ドアが開いたり閉じたり
人が出入りする光景を延々と撮っていた作品にも近いと思う。
面白いがオチも物語もなくかなり投げっぱなしな作品で
同じくり返しの中で主演の大杉漣がアドリブをかましたり
疲れてやつれたりしているのを観ることが出来る。
この黒沢脚本ではおそらく良くできた短編にはならないだろう。
というより良くできた作品を目指して脚本を書いてないのだろうし
物語を小気味良く映像化するという気もないのだろうと思う。
だから、「浴槽の死美人」とは対極の作品だと思った。
黒沢清監督の立ち位置を確認出来た気がした。
そして、この2つの作品の違いから
脚本について何か掴めそうな気がしたのだった。 ちなみに
鶴田法男監督も参加していてその違いも気になってるんだけど
ほとんど覚えていないのと観た当時から上手く消化できてない。
判断が難しいのは批判や抗議をする人の中には
左右の主義の人や本当におかしな人もいるって事だけど
抗議活動自体格好悪いものとして思われてたりもする
結局こういうのって体制側の都合の良いような
空気が作られてるって事なんじゃないのって思う。
最近たまに、日本の消費者は表だって抗議はしなくて
ただその商品を買わなくなるだけだ的な言説を見かける。
要するにそういう形での見えない抗議・態度が日本的
って意味なんだけど、それはただの消費活動の普通の
一面でしかないんじゃないのって思う。
表だって抗議しない事を肯定しても
抗議することをやわらかく抑圧するのと同じな気がする。
今一番求められてるのは誰もが真似したくなる抗議活動
格好悪くない批判や抗議のスタイルじゃないかと思う
でも主張したり反論したり何かを証明するって事は
元々とても泥臭く見える事なのかも。
はっきりいって演技がかり過ぎているんだけれども
介護問題でかも自分が実際にやっている自分の夫との出来事を
ああいう風に演劇チックに流麗に語った番組は見たことない。
凄く面白かった。 こういう視点や論点があってもいい。
容疑者のままのレベルの人と痴漢を認めた人とでは
どっちが自由にしたら危険で再犯のおそれがあるのさ
って話じゃんか。痴漢の犯人こそすぐ釈放しちゃだめでしょう。
そういうシステムだからやむを得ず認める人が出てくるんじゃないのかな
むしろ認めた人こそ拘束して長く取り調べるべきだよ
まぁどんな理由にせよ証拠もなしに
即逮捕長期拘束するのが一番おかしい。
冤罪を簡単に生みやすい状況だと本当に痴漢の被害に遭った人も
もし間違えてたらどうしよう?って捕まえたり訴えるのに
躊躇するかも知れないし悪循環だと思う
あと全部のメーカーが気軽にHDD取り替えられるようになって
HDDにデフラグ機能が付けばいいのに。
高速ダビング用録画を"入"にして録画した場合に
縦長に録画されるとかなんとかは何となく知ってたけど
ムーブしたら上下の帯が消えるしくみがいまいち分からなかった。
"切"にしてたら等速ムーブしても視聴時に縦長にはなんないのかな?
パナソニックのFAQの設定の説明が自分の機種の項を見てるのに
全然どこの何を言ってるのか分かりづらいのが困る。
使い回しじゃなくお年寄りや子供が読んでも分かるように
書き直してくれたらユーザーフレンドリーなのになあ。
普段はコーヒーや紅茶をよく飲むんだけど
自分の場合はコーヒーは牛乳なしでは飲めないし
紅茶よく牛乳を入れて飲んでるんだけども
ここんところ胃がおかしいのかガスがやたら溜まるし
お腹の張りも収まらない感じなので
ちょっと牛乳を控えてみようと思って
紅茶をストレートで飲んだり
ゆず茶を飲んだりしてるってわけ。
紅茶の方は丁度ティーパックが切れかけてるんで
ゆず茶を飲む機会が多くなってる感じ。
でもゆず茶ってジャムみたいだけど
ジャムにお湯入れて飲んでも薄いんだよね
やっぱお茶用に糖分やなんやかや濃くしてるみたい。
ゆず茶は水でもお湯でもすぐ溶けるから
すぐ飲みたいっていうせっかちな自分にはありがたい
自分が使ってるリモコンの入力ボタンの表のフタの裏が
ちょうどタイマーの入/切のボタンになってるんだけど、
このDIGAのリモコンのフタってのがなかなか曲者で
フタを止めておく部分が使ってる早い時期に壊れて
開け閉めする軸?は使ってるうちに緩くなってしまい
フタがすぐカパカパするようになっしてしまった。
で、フタがゆるくなると、フタの表のボタンの操作をした時に
中のボタンの辺り具合がずれたりして誤操作が生じるんだけど
入力ボタンを押した中のボタンのタイマーのボタンを押した形になって
勝手にタイマー切れて焦った。 いまさっきの話だけど。
リモコンを買い換えろ的な話だけど、いやいやいやいやそれ以前に
リモコンは一番酷使するんだからもっと頑丈に作ろうよって思う。
フタの開け閉めがゆるくなったのは軸が削れて細くなったからなんだけど
なぜ開け閉めで酷使する部分に削れるような素材を使うのかなあ
折れるなら分かるけど削れて細くなるとかありえないよ。
百歩譲って使い買って悪かったとしても頑丈には作っといて欲しい。
まぁデジタル放送が始まってブルーレイ機器がメインになってる現状では
数年前に書くべき話題ではあるのかも知れないけれども。
自分にとって選挙というものは宝くじみたいなものなので
自分が投票した人であろうとなかろうと当選した人が
良い行動をしてもらえたらラッキーって感じのスタンスだ。
だいたいその人が当選後何をするかなんて本当の所分からないもの
だけど多分僕はものがたりたいことは特にないんだと思う。
なんていうか、こういうのがあった、こんな事思ったよ
って単文をただられつしたいだけなんじゃないかなって。
だったらなんで長々と書いてしまうんだろう。
分かりやすくしようとか興味持ってもらおうとするから
長くなっちゃうのかな。
大したこと書いてないのは自覚してるつもりだけど
どこかで伝えたい欲求があるのか変なあせりが出る。
のかな。分からない。
あと録画予約の時間が迫ってる時に編集してたら
ポップが出てそれも一々ボタン押して閉じないと
編集の続きが出来ないのも辞めて欲しい
録画が始まった時に編集作業を強制終了するのはいいけど
録画が始まるのが分かってて急いで編集してる時に
時間が迫ってるだけで強制的にウィンドウを出して
作業を出来なくさせるのは逆に手間かかって面倒なんだよな
予約時刻が迫ってる旨のウィンドウを出しても良いけど
編集の邪魔にならない出し方して欲しい。
あと編集の範囲を指定した後で
編集しますか?のウィンドウが出るんだけど
それをキャンセルしたら指定した編集範囲も全部消えて
範囲指定を最初からやり直しになるのも勘弁して欲しい
キャンセルしたらその1つ前の作業に戻すだけでいいのになあ
そういうちょっとした所にイラッとさせられるのだよな。
まぁ最近の同じメーカーの機種は変わってるかも知れないけど
お願いしますよDIGAのパナソニックさん。
だから日本独特の英語の使い方がおかしいというのは
共通語の英語としては正しくて、日本独特の方言の英語としては
おかしいっていうのと微妙に違うというか。
本当は国内でだけ通用する和製英語と
共通語としての英語との違いを分からなきゃいけなくて
分かった上で使わなきゃいけないと思いはするのだけど
でもこういう方言化っていうのは世界に広めた結果なんじゃないかな
世界に広めるってのは要するに
必然的に各地で変形するっててことだと思うし
その土地の言葉と混ざり合うことでその土地に根付くんだと思う
これが視たのが恐い夢だったりすると、
夢で良かった、って
とても強く思うのだけど
悲しいことや嬉しい出来事の夢だと
目を醒ました時に
大切なものが奪われてしまった
そんな気持ちになる
それがどんな出来事であっても
自分に起きたことは自分のものなのに
夢はなぜ自分のものではないんだろう
腹の立つ夢を視ると
起きて怒りのやり場に困る事もあって
本当にこの感情はなんなんだろうって思う
夢を視た時に感じる感情に
意味なんてあるんだろうか
夢が脳にとって大切な何かかも知れないけど
夢に何かを感じることって必要かな
感情を使うことがストレスになってるのに
でもここ数年は
そんな感情的になる夢を視ていないし
視た記憶もないのだけれど
まぁ俺は食べたことはないんだけど
昨日コンビニで買い物してたら年配のおっちゃんが
「エクレア何時に入んのー?」
ってレジの人に聞いてて、甘党なんだなー
くらいにって思ったんだけども、あの人も
このブームの影響で買いに来た人なのかなぁ。
画像のアップロードテストで実際一応成功はしたのだけど
レジストしないでimageshackにアップロードしたので
削除できないっぽいので悲しい。 当たり前か。
でも予測してたので、ずっと残っても困らないように
適当に自分で書いた画像を上げたんで良いっちゃいいんだけど。
もちろん親に偏った愛情を持つ男の人は実際いるだろうし
結婚相手の女の人をないがしろにする人もいて問題はあるだろうけど
対して女の人が実家にベッタリする事やファザコンブラコンは
大目に見られる事が多くてバランスが取れてないって思うし
マザコンってキーワードだけが目立った使われ方してるのは
意図的に思えてしまう。 まぁ女の人の親との関係が
大目に見られている感があるのは社会的にまだ弱い立場だって事と
バーターなのかも分からないし出産を考えた時に
女の人が一番頼れるのが良くも悪くも実家の自分の両親なのだから
しょうがないんじゃないかって気がしなくもないんだけども
ただ、そう思ってはいても、結局ここぞという時には
旦那より親を頼ってしまうのねという女性に対する
無力感っぽいものがくすぶったりもするのだった。
まぁそういう思いつきはともかく、男も女も子供のうちから
敵と味方以外の人間の分類や付き合い方を身につけておくべきだと思う
最近は子供への虐待や殺人事件が目立っているので
知らない人と距離を取るように学校や家庭で教えてる事が多いらしいけど
でも一番虐待してるのは両親や近親者とも言われているし
外で何か事件に巻き込まれそうになったりした時には
助けを呼ぶ相手や助けてくれる可能性のあるのは知らない人なわけで
だからこそ人付き合いを単純に敵味方に二分せずに、たとえばだけど
お互いに信用していない状態でも一時的に協力関係になれるような
そういう仲の良い人とだけ仲良くする以外の関係の作り方を
学んでおくべきなんじゃないかと思う。舅姑問題も含めて。
ちゃんと残ったファイルも含めて全部アンインストールしたり
レジストリを削除したり再起動させて何度入れ直しても同じ結果に。
もちろんアンインストールはインストールしたファイルを
削除しただけってことではなくてアンインストール用の
アプリケーションをクリックして削除したって意味で。
で、色々困ってたのだけど、FastStoneを調べたときに知った
C:\WINDOWS\Prefetchというフォルダ内のSpybot何とかという
ファイルを削除したらちゃんとアップデートしてくれた。
良かった良かった。
なんだか最近年賀状についてる家族の写真見たさに
人の年賀状を盗んだって人が捕まっていたけれども、
本当に盗んだ理由が写真なのかはともかくとして
これで年賀ハガキのプライバーシー保護に拍車がかかるのかなぁ
写真を載せたハガキが減るのかなぁと残念に思ったりする
というのは、僕は年を取ったせいか、
知人の家族の写真を年賀状などで見るのが好きだからだ
まぁ自分の知人は既婚であっても子供のいる人がいないし
写真を載せて送ってくれること自体あまりないのだけど
年賀状で来た両親の知人の家族写真を見たりして
子供の成長や年を経た知り合いの姿を見るのが
しみじみしてなんだか好きだ
出かけた時にたまたま見かける家族連れとか
親子で仲良さそうにしてるのを見かけるのも好き
知り合いでもないしじっと見つめたりはしないから
視界に入った光景を見つめる程度なのだけど
なんだか仲むつまじい関係を見るのは嬉しい
自分の両親が夫婦喧嘩が耐えなかったせいもあるかも知れないけど
世界のどこかで仲良く暮らしている家族がいるって感じられるのが
好きな理由なのかも知れない だけどまぁ家族で写真を撮るのは
子供にしてみれば恥ずかしかったり面倒だったりするんで
撮る前には親子で揉めたりしてるのかも分からないけれども
これはかなり残念。
温泉旅館のスターウォーズのシーンはあの曲だけが本物なので
曲が変わると全然印象が変わるし面白くなくなってしまったと思う
それ以前にDVD版をYoutubeに上げるのってどうなんだって気はするけど
こういうDVD化での曲の権利問題はなんとかなんないのかなあ
M-1グランプリでも音楽ネタの部分がカットされてるネタがあるというし
結果的にその曲の使い道を制限してしまってると思うのだけどなあ
自分はつくずく人を楽しませられる力が無いんだなと思わされる
自分が面白いと思ったことだけでなく相手はこういうのが喜ぶだろうと、
そういう自分の好みとは分けたはずの予測すらも大きくずれてしまうのは
既に感性の個人差を超えて他人への理解力が低いってことなんだろう