2009年12月7日月曜日

(引用)人間の特徴は否定することとか動物は否定しないとかその辺の話。

たまたま検索して見つけた記事に分かりやすい説明が書かれていたので引用。

http://okwave.jp/qa3633508.html
まず、ヘーゲルは、動物はなにも「否定しない」と言います。

たとえばジェスチャー・ゲームを想像してみて。
「食べる」「歩く」「話す」なんでもジェスチャーで表すことができますよね。
ではこんど、この「否定形」をやってみてください。
ここには「いない」。あるものが「ない」。それを動作で表現することは不可能なんです。
言葉を使う人間だから、初めて「否定」できる。

言葉の機能は、否定においてその真価を発揮するのです。
「わたしはここにいます」というのは、普通の状況では言う必要がない。
その人が実際にいるのだから。
けれど、「そのときわたしはそこにはいなかった」というのは、言葉にしかできないことです。
「言葉」とは、何よりも「否定」ということなのです。

そしてこの「否定」の能力はどこから生まれたか。
ヘーゲルは、それは〈死〉からだ、というのです。
動物は、〈死〉を理解しません。人間のみが〈死〉を恐れ、嫌悪し、不安を抱くようになる。そうして、恐れと不安に引き裂かれつつも、それに耐えて正面から見つめることで、〈死〉を〈否定の力〉へと抽象する能力を持つ。

だから、この「否定」ということは、人間と動物を分かつものとなるわけ。
さて、なんでこのヘーゲルの『精神現象学』を講義したコジェーヴは、戦後アメリカで台頭してきた消費者を「動物」と呼ぶのか?

それは否定しないからです。この点は東さんの本に簡潔にまとめてありますね
「消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変わっていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる」(p.97)

じゃ、スノビズムはどうなのか。

もういちど、オックスフォードの説明を見てください。
この "a person" は現実には "lower-class" なんです。だからこそ、高い社会的地位や富といったものに、必要以上のあこがれを抱く。もしかしたら貴族にあこがれを抱いている中流階級かもしれませんが、ともかく、なんにせよその人が置かれた環境に決して満足していないのです。

だけど、そんなことができるのも、その人が現実には満たされていることが前提となっている。明日の暮らしにも事欠くような人、生存が脅かされているような人が、社会的地位や富にあこがれたりはしないでしょう。
だから、

> 与えられた環境を否定する実質的な理由が何もないにも関わらず

というのはそういうこと。ではつぎの

> 形式的な価値に基づいて

はどういうことかというと、その "a person" があこがれているのは、すでに評価の定まった中流階級的な、もしくは上流階級的なライフスタイルであり嗜好である、ということです。

> それを否定する行動様式のことをいう

そうして、その人は自分が現在置かれている環境を否定する。

" dislikes people or activities regarded as lower-class" っていう部分がぴったり当てはまりますね。

まさに辞書的意味における「snob」ときれいに一致しているといっていいでしょう

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