2009年10月31日土曜日

焦げた食パン

昨日は朝食の食パンを焦がしてしまった。
その焦がした事で何十年かぶりに思い出したけど
かつて自分が保育所に通っていた幼い頃に、
昼食にいつも焦げた食パンを食べている子がいた。

自分の通っていた保育所のお昼御飯は
各自弁当を持参だったのだけれども
その子はいつも家からパンを持ってきていて
そしてパンを持ってきているのは
いつもその子だけだったと思う。

そのパンはサンドイッチではなくて
食パンを半分か四分の一くらいに切ったものを
弁当箱のようなものに入れていたと思う。
しかもいつも焦げていたのだった。
もしかしたらおかずは無かったかも知れない。

その頃の幼い自分でさえ焦げた物を食べると
癌になるって話は知っていたはずで
だからなぜその子がパンを、しかも焦げたものを
毎日持ってきて食べているのか謎だったのだけど、
ある時、自分の体のために焦げたパンがいいのだと
そういうようなことを食事中に言ったことがあった。
自分はそういうこともあるのかなと思っていた。
誰かに聞かれて答えたのか、誰に語ったのか
その辺のことは覚えていない。
ただみんながいる前でみんなに聞こえるよう言ったはすだ。

と、いうようなことを思い出したのだけれども
今の自分の目線でその子のことを思う時に
あの子の家庭はなんかあったのだろうかとか
料理下手だったのかなとか、
そういう家庭の事情的な事を色々考えてしまう。

自分の家庭は小学校の給食費を滞納して
三ヶ月まとめて払ったりとか
中学・高校時代の弁当のおかずが
冷凍の揚げ物ばっかりとかだったし
裕福ではなかったしちゃんとした弁当を持たせてくれていた
ってわけでもなかったのだけど。

話はそれるが保育所時代の自分の弁当は白い御飯と
おかずにウインナーやら卵焼きやらだったと思うけど
でもその当時友達の家で読んでしまったホラー漫画のせいで
お米を食べるのが怖いというか食べづらいようになっていて
食事の時間は年齢が大きくなってもしばらくは苦痛だった。
どういう漫画だったかは語る気はないけれども
子供に怖い物を見せるのが良くないというのは
自分はある種の事実が含まれていると思う。


ところで、子供の頃の事を書くのはあまり好きじゃない。
子供の頃の思い出は自分にはとても大切なものなのだけど
ある頃から書いたり人に喋るとその記憶が薄れたり
忘れたりするようになってしまったからだ。
書いたりしゃべったりすることによって
その記憶が改変されてしまうのも好きじゃない。
だから記憶を大切に保とうと思うのなら
子供の頃の事を何も書かずしゃべらずに過ごすのが
一番良い方法なのかも知れない。

そういえばかつて読んだポール・オースターの小説で
主人公が書くことでどんどん記憶を忘れていく話があったけど
記憶を失い出したのはその小説を読んでからではないだろうか。

でももしかすると何もしなくても忘れているけど
書いたり喋ったりすることで忘れると言う行為が
普段よりはっきり意識させられている、
というだけなのかも知れない。

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