2009年5月10日日曜日

映画などで言われる良い脚本って

たぶん構成や台詞回しの良さなんだと思う。
自分は脚本の役割っていうのがずっとピンとこなくて
良い物語を良い脚本って感じで大まかに思ったりしてたけど
以前、オムニバスTV映画の『愛と不思議と恐怖の物語』の1本
「浴槽の死美人」を観て少し分かった気がしたのだった。

なんていうのかな、短編で上手くまとまってるんだけど
そつなくまとめたせいで構成の骨格が分かりやすいっていうか。

その場合の構成とか骨格って何っていうと上手く言えないんだけど
ここでこう取りますよ、こういう台詞をこのポーズで言いますよ
っていう段取りの流れを、勘違いかもだけど感じられるっていうか。

必要なシーンや演技や立ち位置・カメラポジションがあって、
それらがそれ以上のものではないっていうか、相乗効果で
何倍にもなってるわけではないっていうのかなぁ。
映像のマジックによって構成が陰に隠れていないというか。
面白いんだけどこじんまりとまりとまとまりすぎ?
そういう風に思える作品だった。
一度コンテに起こしてコンテ通りに撮ったのかなあ。
だからどっかしら固いって感じに思えたのかな。

監督はケネディ・テイラーという人で
Kennedy Taylorで検索したら
キル・ビルvol.1や『呪怨 パンデミック』の
助監督をやったりしているようだ。


このオムニバスには黒沢清監督も参加していて
その作品は「タイムスリップ」という設定の元に
俳優に同じ事を延々と繰り返させる、というものだった。

まるで撮影シーンで同じシーンを何度も撮り直してるみたいだったし
8ミリ時代に撮った固定カメラでエレベーターの中から
上がったり下がったりした後ドアが開いたり閉じたり
人が出入りする光景を延々と撮っていた作品にも近いと思う。
面白いがオチも物語もなくかなり投げっぱなしな作品で
同じくり返しの中で主演の大杉漣がアドリブをかましたり
疲れてやつれたりしているのを観ることが出来る。

この黒沢脚本ではおそらく良くできた短編にはならないだろう。
というより良くできた作品を目指して脚本を書いてないのだろうし
物語を小気味良く映像化するという気もないのだろうと思う。
だから、「浴槽の死美人」とは対極の作品だと思った。
黒沢清監督の立ち位置を確認出来た気がした。

そして、この2つの作品の違いから
脚本について何か掴めそうな気がしたのだった。 ちなみに
鶴田法男監督も参加していてその違いも気になってるんだけど
ほとんど覚えていないのと観た当時から上手く消化できてない。

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