2009年5月8日金曜日

相談コミュニティ

偶然知ったサンマリエっていう結婚情報サイトの
ユーザーから来た相談にサイトの人などが答えている
恋愛相談のログを遡って読んでたんだけど
遡ると大ざっぱで荒い返答がけっこうあって笑った。
岡田斗司夫も回答してたなあ
途中で読むのやめたけども。

最近のものは読みやすく親身に傷つけないような語り口になってた。
まぁナンバリングが大きいほど新しいってのを前提にした話だけど。

前は発言小町とかはまって読んでた事もあったけど
結局他人の知らなくて良い悩み事を読むのって疲れるや。

2009年5月6日水曜日

右寄りだ左寄りだなんだという喧噪が

ほとんどの人に与えた影響ってのは
何かを批判したり抗議するとレッテルを貼られて
抑圧されたりおかしな人扱いされるって事だと思う。

判断が難しいのは批判や抗議をする人の中には
左右の主義の人や本当におかしな人もいるって事だけど
抗議活動自体格好悪いものとして思われてたりもする
結局こういうのって体制側の都合の良いような
空気が作られてるって事なんじゃないのって思う。

最近たまに、日本の消費者は表だって抗議はしなくて
ただその商品を買わなくなるだけだ的な言説を見かける。
要するにそういう形での見えない抗議・態度が日本的
って意味なんだけど、それはただの消費活動の普通の
一面でしかないんじゃないのって思う。
表だって抗議しない事を肯定しても
抗議することをやわらかく抑圧するのと同じな気がする。

今一番求められてるのは誰もが真似したくなる抗議活動
格好悪くない批判や抗議のスタイルじゃないかと思う
でも主張したり反論したり何かを証明するって事は
元々とても泥臭く見える事なのかも。

書きたいことを思いついて

実際に書いてみると全然まとまらなくて
分かりやすく説明しようとして冗長になって
結局辞める事になる、ということを繰り返す

どうして自分の書いた文章が目に入ると

不快になったりするんだろうか。
別にいつもってわけじゃないけど
目を背けたくなるのだよな
それがよく考えて書いたものであっても。
そこに虚勢が見えるからだろうか。分からない。
自己文章評価が低いってことだろうか。